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from3.5次元to浄土
俺と音盤の対峙一部始終。(text=色即zk)

vol.6

hinten/guruguru
ジャーマン・ロック愛好者を自認する人々にとって東京夕ワー蝋人形館並びに関連グッズ販売施設として併設された店舗『コズミック・ジョーカーズ』がもはや巡礼せずにおちおち寝てもいられぬというほどの聖地としてあり、ご本尊でもあるところの東京夕ワーそれ自体が電波塔であるばかりかまさに超音波タワー、或は因果夕ワーとしてさえ機能し始めているということは電波界(=妄想的現実)や音波界(=神の声など)に並々ならぬ興味を抱いてしまう世のフリークな人々にとっても既によくよく知られた真実のひとつである。俺は先日の巡礼の際、流麗なタロット・カード付きコンピ盤で有名なヴェクター・ミューラー氏やグルグルのマニさんのTシャツなどなどをCD数枚(もちろん電波がらみ)とともにゲットしたのだが、夥しいまでの毒電波、腐れ電磁波等が一般の観光客(外人多し)を汚染しまくる様は感動的でさえあり、「東京夕ワーはもはや完全に腐っている」という事態を改めてつくづくと思い知らされた。まったくもって良い腐り加減なシャワータイム。顔射する波打ちぎわとの遭遇。グルグルはまさに電気ガエルそのものであり、びっしりとケツ毛の生い茂るケツの穴である。そこに何らかの「意味」を求めようとすることこそマヌケそのものであると知るべし。グルグルはむしろあらゆる「意味」の「無意味さ」を我々に教えようとするものですらある。ギター×ベース×ドラムスによる3ピースというロック・バンドとしては最もベーシックとされる編成から放たれる「反ロック」。一聴、通常のフォーマットかと思わせる楽曲の大迷走や超逸脱のし放題は愉快そのものでもあり、このような音楽こそ真に「楽しい音楽」と呼ばれるべきもの。
traveling miles/cassandra wilison
前2作のジャケット写真でのカサンドラ嬢からは濃密な色気やあからさまな芳香が匂い立ちまくりなので、見るものの背中をぞくぞくとさせてしまうまるでジャズそのものな凄みすらを感じさせるものが大いにあったのだが、それはそこに収められた音盤の内容が「これはただごとではない」と思わせるにも十分な名ジャケットたちでもあった。特に前作“ニュームーン・ドーター”で露にされたセミ・ヌードのカサンドラ嬢の肩から半ケツにかけての麗しい曲線美には俺はほとんど恋心に近いものさえ抱いていた。しかしマイルスへのトリビュート作でもあるこの最新盤には「顔面からもトリビュートしてしまったのか!?」と思わず目を疑うほどの気合の入りようがそのお写真からも実によく窺い知れ、俺はまたしてもおののいてしまったのだ。深い絶望感とドライな孤独感を合わせ持つ両者のトーンや雰囲気には、言われてみれば元来、そうとう高いシンクロ率が認められもしたのだが、顔までこうも似通ってくるとは…。本作によって俺の淡い恋心は畏敬の念へとはっきりと移り変わりました。昨年ブルー・ノート東京で行われた来日公演には残念ながらも行きそびれてしまったのだが、聞くところによると本盤の発売に先んじてマイルスゆかりのナンバーが何曲も歌われたそうである。特に晩年のマイルスの十八番であったバラード曲“タイム・アフター・タイム”におけるカサンドラ嬢の歌唱は「ひたすらウォウ、ウォウ言ってるだけで何を歌ってるのかさっぱり分らない」にもかかわらず「泣いてるお客(OL風姉ちゃん)がそこら中にいた。」とのg大加藤氏による見聞録もある。本盤にはそれらマイルス仕込みの曲の他に新たに書き下されたマイルスのスピリットを受け継ぐ数曲も収められている。それらは正しくブルーズの精霊を体現するものでもある。トリビュート盤かくあるべし。俺は次回作としてジミ・ヘンのトリビュート盤(ヴィデオ作品のみで発表済み)もお願いしたくなったのだが、ジミさんの「顔面トリビュート」はしなくてもいいっす。
clay/山下洋輔trio
「ピアノに火を放ち、そのピアノを弾きまくる。これぞ炎とのセッション。」っておい、あんた何でもやりゃいいってもんじゃねえだろ。今や伝説と化したこのセッションは映像化されてもおり俺は以前にそれを見ることができたのだが、確かに火のつけられたピアノを弾きまくっていらっしゃいました。いや俺も見る前はマジに命懸けた壮絶フリー演奏を想像し恐れさえしていたが、これが見ると聞くでは大違いという激マヌケ美。単に煙たそうなボヤん中で消防服を着た山下洋輔が乱れ弾き三昧。しかも場所はどっかの河原みてえなところだというのがまたたまりません。バチバチ燃えてる中でキャロンキャロン、時々プチーンってピアノ線が切れたりして音響によるくだらなさの劇的連鎖反応もあり、弾くほどにボロボロと壊れていくピアノからついに最後はほうほうのていで逃げてくるというスゴ過ぎる内容。俺はあまりのことに笑い死にかけさえした。最高の馬鹿らしさの極み。アングラかくあるべしと教えられまくりました。本作はそのような意味でも真に真に偉大だった山下トリオのドイツ、メールス・ジャズ・フェスにおけるライヴ音盤にして歴史的名盤。大挙したドイツ人聴衆を前に坂田明asが大見栄を吹きまくり吠えまくり唸りまくり、それに応える森山威男dsが豪快そのものの強烈なパルスを大量放出。そこから得られる日本古来の「起承転結」のジャズ化がミソ。大受けするゲルマン人聴衆の反応ぶりも凄いが、俺にとっても永久に「最後にあてにすべき一枚」としてこれからもあり続ける。鬱積した日頃の欲求不満をぶち飛ばす偉大なるフリー土方前衛ジャズ。山下洋輔トリオこそが我々の産みの親であると決して忘れてはならない。
bad timing/jim o'rourke
俺は今更「音響派」などと聞かされたところで「そのままじゃねえか」としか感想は吐きようもなく、そう名付けてしまった業界がらみどものあまりのへぼセンスにはセコい商魂(ジャンル分けを強要するアホども)が垣間見えてもいるだけにマジに呆れ返ってしまうほかはないのだが、ジム・オルークが恐れ多くもあのファウストの名義でアルバムを1枚でっち上げてしまうというまさに偉業を成し遂げた人でもあり、今やその「音響派」なる分野の第一人者として「時の人」視もされてもいるということは既に多くの人々が知るところではある。しかし俺にとって何よりも衝撃的であったのはジム・オルークがもう何年もの間、欠かさず日に10枚のアルバムを聴き、1本の映画(ヴィデオ)を観るというとんでもない日課を実践し続けているという驚くべきその生活の実態である。人間ここまで深入りもできるものかって、普通できないぜ絶対、狂ってなきゃ。業の深さが不気味でさえある。本作ではミニマリズムによるカントリー・ミュージックの現代音楽化が試みられているが、それはドローン効果とダブの融合実験の産物でもある。心と頭が緩やかに溶ける。
festa dos deuses/hermeto pascoal
かつて豚をステージ上で演奏することでも知られたエルメート・パスコアル大先生は今やそのグループとともに鍾乳洞の演奏に日々取り組まれているそうである。してみれば本盤にも顕著というよりむしろ大盤振る舞い的にさえたっぷりと収録された豚や鶏と自身の娘(多分)を歌手としても全く同等のものとして扱うという姿勢にはかえって当然過ぎるとも思わせるだけのものがあり、その自由平等の思想、自然回帰の精神にこそ学ぶべきものは果てしなくある。またサッカーの中継や大統領の演説や子供との入浴といったあらゆる身近な生活音やノイズの連なりの全てがそれ自体既にして紛れもなく音楽そのものであるということを証明する試みは初期の作品から一貫して実践され続けているが、それらは普段、人間の聴覚がいかに不自由に縛られているのかをとてもチャーミングに問うものでもある。作曲家としてはザッパ先生との共通項もかなり多く見受けられるがエルメート先生には作為的な所作は無にも等しい。あらゆるこの世の「きまりごと」からは生まれながら解放されきっているに違いありません。それにしてもエルメート先生をも生み出してしまったブラジルという国は一体どんな国なのだ?

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